2012年2月25日土曜日

平成23年度第64回卒業証書授与式 式辞 2012.2.25

式  辞



 春の気配が日ごとに感じられる今日の良き日に、ご多忙にも関わりませずご臨席いただきましたご来賓の皆様と、保護者の皆様の祝福をいただき、兵庫県立飾磨工業高等学校平成23年度卒業証書授与式を挙行できますことに、心から感謝を申し上げます。


 ただいま卒業証書を授与しました全日制195名、多部制155名、合計350名の卒業生の皆さん、卒業おめでとう。そしてお子様を育て、支えてこられた保護者の皆様に、心よりお喜びを申し上げます。


 さて、ある中学校の卒業生の答辞を読み上げたいと思います。お聞きください。


「今日は未曾有の大震災の傷も癒えないさなか、私たちのために卒業式を挙行して頂き有難うございます。
 ちょうど十日前の三月十二日。春を思わせる暖かな日でした。私たちは、そのキラキラ光る日差しの中を希望に胸を膨らませ、通いなれたこの学舎を五十七名揃って巣立つはずでした。
前日の十一日、一足早く渡された思い出の詰まったアルバムを開き、十数時間後の卒業式に思いをはせた友もいたことでしょう。
 「東日本大震災」と名付けられる天変地異が起こるとも知らず…
 階上(はしかみ)中学校といえば「防災教育」といわれ、内外から高く評価され、十分な訓練もしていた私たちでした。しかし自然の猛威の前には、人間の力はあまりにも無力で、私たちから大切な物を容赦なく奪っていきました。
 天が与えた試練というには、むご過ぎるものでした。辛くて悔しくてたまりません。時計の針は14時46分を指したままです。でも時は確実に流れています。
 生かされた者として顔を上げ、常に思いやりの心を持ち、強く正しく、たくましく生きて行かなければなりません。命の重さを知るには大き過ぎる代償でした。
 しかし苦境にあっても、「天を恨まず」、運命に耐え、助け合って生きていくことが、これからの私たちの使命です。


 私たちは今、それぞれの新しい人生の一歩を踏み出します。どこにいても、何をしていようとも、この地で仲間と共有した時を忘れず、宝物として生きていきます。
 後輩の皆さん、階上(はしかみ)中学校で過ごす「あたりまえ」に思える日々や友達が、如何に貴重なものかを考え、いとおしんで過ごしてください。
 先生方、親身のご指導有難うございました。先生方が如何に私たちを思って下さっていたか、今になって良く分かります。
 地域の皆さん、これまで様々なご支援を頂き有難うございました。これからも宜しくお願いいたします。
 お父さん、お母さん、家族の皆さん、これから私たちが歩んでいく姿を見守っていてください。必ず、良き社会人になります。
 私は、この階上(はしかみ)中学校の生徒でいられたことを誇りに思います。最後に、本当に、 本当に、有難うございました。平成23年 3月22日」



皆さんもご存知だろうと思います。これは、東日本大震災で被災した宮城県気仙沼市立階上(はしかみ)中学校の卒業式で、梶原裕太(かじわら ゆうた)君が読み上げた答辞です。全文が平成22年度の文部科学白書に掲載されました。これは極めて異例のことです。15才の男の子が、重すぎる不幸の中で、精一杯の希望と自分たちの使命を自分に言い聞かせるように、自分の決意を表明しています。


長々と読み上げましたが、被災者である彼の卒業生としての思いと社会人になる覚悟を、今日、飾磨工業高等学校を卒業する卒業生そして在校生の皆さん、そしてご出席の皆様と一緒に確認したかったのです。


高等学校卒業は決してゴールではありません。卒業する皆さんにとっては、本格的なスタートです。社会人になるとは、自分の生活のために働くことと同じくらいに、社会に役に立つことを考えることが必要です。そのことを特にお願いしたい。それが自分自身の誇りとなります。自分が卒業することで、ご家族が喜んでくれている。それが皆さんにとって大きな喜びになっているはずです。これも皆さんが家庭という社会に貢献していることの一つです。次は日本という国と社会に貢献してください。


今日、飾磨工業高等学校を卒業する皆さんと、ご家族の皆様のご発展とご多幸を、切にお祈りして、卒業式の式辞といたします。


平成24年2月25日 


兵庫県立飾磨工業高等学校 校長  田中 哲也



2011年8月19日金曜日

2011.8.19 言葉の力ということ

言葉の力ということ
(石坐神山「播磨國風土記」 姫路市香寺町奥須加院)







 前回の便りに、昆愛海ちゃんのお母さんへの手紙と、その言葉に触発され行動を起こそうと決意したニートの青年のことを書きました。私はこの記事に書かれた出来事とその記事に触発されたニートの青年の決意に、言葉の力というものを強く感じました。言葉が人の心を救う力という意味での言葉の力です。少しその辺りを述べてみたいと思います。


 一つ目は、愛海ちゃんが生み出した言葉が自分自身の心を救ったということについてです。愛海ちゃんが4才になっていて、多分お母さんにひらがなを教えてもらっていたのでしょう。ひらがなをたどたどしく書けるようになっていたことが、彼女を救ったのだと思うのです。本当にひらがなが書けるようになっていてよかったと思いました。愛海ちゃんを救ったのだと思いました。私たちは整理のつかない体験をすると言葉が出ません。その間、じっと沈黙するしかありません。この沈黙は恐ろしいものではありますが、非常に大切なことで心を成長させるには価値のある沈黙を作り出すことが大切です。現代はこの沈黙を恐れて掻き消すように、おしゃべりをしたり、メールを打ったり、騒々しい音や言葉が氾濫しているのが現状ではないかと思います。


 愛美ちゃんが津波に襲われて奇跡的に助かって、4日間は地区の親戚の家で過ごしていました。1週間後におばあちゃんに会いました。そのときの写真が掲載されていました。とてもうれしそうにおばあちゃんに駆け寄る瞬間の写真でした。記事を書いた立石カメラマンが愛美ちゃんと初めて出会ったのはその時です。それから彼は時々愛美ちゃんに会いに行き一緒に遊んでいます。


 11日後の3月22日にトランプをしていた時に突然、ママに手紙を書くと言い出しました。恐ろしい体験をしておばあちゃんに会えて、ほんとに少しだけ気持ちが和らいだ、あるいは余裕ができた時に、手紙を書こうと思ったのだろうと思います。


 1時間をかけて、知らないひらがなを調べながら、やっとのことで「ままへ。いきているといいね。おげんきですか」と書いた。その直後疲れてしまって、その文字を書いた大学ノートに頬をのせて眠ってしまった。それが新聞に掲載された写真でした。この文字が11日間の沈黙の後の愛美ちゃんの叫びだと思いました。お母さんが帰ってこないらしいこと、もう会えないということはうすうす分かっている。しかしその現実を受け入れるには辛すぎる。どうにかしてお母さんに連絡を取りたい。自分がここにいることを知らせたい。そんな気持ちではなかったかと思います。抱え込んだ沈黙に、そして整理のつかない気持ちに輪郭を与えるのが言葉です。その輪郭は自分自身しか作ることはできません。借りてきた言葉ではなく、自分の魂からしぼり出した言葉でないと自分の心は救えないでしょう。私たちは自分の言葉によって心に仮の輪郭を与えて、その輪郭を頼りに自分の心の混沌の中に踏み込んでいこうとします。言葉にできたその時に、一瞬の安堵感があります。だから愛海ちゃんは手紙を書き終えた後、眠り込んだに違いありません。自分の心に対しての言葉の力とはこのようなことだろうと思いました。これまでの11日間の想像を絶する緊張感による疲れと一瞬の安堵感によって。


 このような経緯で生み出された言葉の力と愛海ちゃんの悲劇の重みが、その言葉を読んだニートの青年の心を打ち、彼に行動力を取り戻させたのだろうと思います。これが二つ目の言葉の力です。


 あれから愛海ちゃんの記事がありません。どうしているのでしょうか。少しずつ元気を取り戻してくれればいいと願うばかりです。





















2011年7月22日金曜日

2011.7.22 昆愛海(こん まなみ)ちゃんという女の子



昆愛海(こん まなみ)ちゃんという女の子

写真は沖縄県伊江島の海(2011.6.8 多部制3部修学旅行)





 岩手県宮古市の昆愛海ちゃん(当時4才、5月10日で5才)は、3月31日に「ママの帰りを待っている 入り江を見つめる女児 父の携帯を握りしめ」という読売新聞の記事で取り上げられた女の子です。この記事を書いたのは立石紀和カメラマン。彼は震災から一週間後、津波に襲われた宮古市の手鶏という漁村で愛海ちゃんに出会った。愛海ちゃんは地震の時は保育園にいて、迎えに来たお母さんと自宅に戻った。自宅は高台にあり避難所になっている小学校と隣接していて安全なはずだった。 しかし帰宅した瞬間、30m超える巨大津波が襲ってきて、両親と妹の蒼葉ちゃんと愛海ちゃんは津波の引き潮にさらわれた。愛海ちゃんは背負っていた通園用のリュックが漁に使う網に引っかかったために、一人だけ奇跡的に助かり、同じ地区の親戚宅に引き取られ、孤立状態で4日間を過ごした。一週間後に市内の内陸部に住む祖母の静子さんに会うことが出来た。「表情は沈んでいて、何も話さず、言葉を忘れてしまっている」状態であった。

 そんな時に立石カメラマンは愛海ちゃんに出会った。彼はそれから時々愛海ちゃんに会いに行き、トランプしたり、絵本を読んだり、おやつを食べたりした。3月22日に、いつものようにトランプでババ抜きをしていると、突然ママに手紙を書くと言い出し大学ノートを広げた。愛海ちゃんは色鉛筆で、覚えたばかりのひらがなで一文字一文字ゆっくりと手紙を書き始めた。分からない字があると調べながら、「ままへ。いきているといいですね。おげんきですか」 1時間くらいかけてそこまで書くと、疲れてしまったのか、寝入ってしまった。 その記事には、手紙文が書かれた大学ノートの上に頬をのせて寝入っている愛海ちゃんの写真が付けられた。 愛海ちゃんは、笑顔は少し戻ってきたものの、自宅には近づくのを嫌がる。 変わり果てた入り江を見下ろす時はふと辛そうな表情を見せる。余震の心配があるので、おばあちゃんの静子さんは自分たちの家につれて帰りたいが、愛海ちゃんは「ママが帰ってくるまで、ここで待っている」といって聞かない。「パパから電話がかかってくるかな」と言って、携帯電話が通じない被災地で、電源を入れたままにして握っている。


手紙には続きがある。「おりがみとあやとりと ほんをよんでくれてありがと」お母さんの由香さんは32才。「ぱぱへ。あわびとか うにとか たことか こんぶとか いろんなのお とてね」お父さんの文昭さんは39才。おばあちゃんのお手伝いをしたり、配給所にトイレットペーパーをもらいにいったりと頑張っている。胸のポケットにはいつも旅行に行ったときのママの写真を入れている。「ママかわいいね」時々その写真を見て胸に寄せる。 しかし愛海ちゃんは突然泣き出すこともある。夜は布団の中でおばあちゃんの首にしがみついて寝る。


4月24日には妹の蒼葉(あおば)ちゃんの4才の誕生日を祝った。5月9日からは8キロ程離れた隣町の児童館に通い始めた。朝おばあちゃんに髪をとかしてもらい「早く行きたい」とはしゃいだ。 今でもよい子にしていればみんな帰ってくると愛海ちゃんは信じている。


5月10日に愛海ちゃんは5才になった。

3月31日の記事を見たニートの男性から読売新聞社のサイトに書き込みがあったそうだ。

「愛海ちゃんの記事を読んで、自分が甘えていることに気付きました。仕事を探しに行きます」


 愛海ちゃんには、おばあちゃんやその他いろんな人に支えられながら、時間を十分にかけて少しずつ少しずつ自分の置かれている現実を受け止めていってほしいと心から祈らざるを得ません。



4才の女の子も戦っています。私たち教員は、生徒たちの進路開拓に対して、出来ることとするべきこととやれることをしっかりやりきろうとしています。生徒たちには自分の甘えに対して戦うことを求めたいと思います。そしてご家庭では、決して子ども任せにせずに、親と子が一緒になってしっかりと子どもの進路を考えていただくことを、お願いしておきたいと思います。                         (飾工PTA会報に掲載)


2011年4月8日金曜日

h23.4.8 平成23年度の入学式を終えました。





式 辞


 今年も飾磨工業高等学校に春がやってきました。軽やかで晴れやかな気分を味わえることに感謝したいと思います。


 御来賓の皆様と、新入生の保護者の皆様の祝福をいただき、兵庫県立飾磨工業高等学校平成23年度入学式を行えますことに、心から感謝を申し上げます。


 ただいま入学を許可しました全日制課程200名、多部制課程200名、合計400名の入学生の皆さん、入学おめでとう。本校への入学を心から歓迎します。保護者の皆様には心よりお喜びを申し上げます。


 飾磨工業高校に合格した入学生とその保護者の皆様の、合格者発表の日に喜んでいらっしゃる姿は、私たち職員の脳裏に焼き付いています。しかしその反面、うつむいて静かに帰っていった受験生と保護者の姿を思い浮かべる時、合格を勝ち取った皆さんには、不合格になった人の分まで本校でしっかりと学んでほしいと、強く思います。


 皆様もご存知のとおり、今年の春は残酷な春となってしまいました。東日本大震災が東北地方、関東地方、さらには日本全体に大きな被害と課題を突きつける大変な状況にあります。私たちはできることを確実にやりとげながら、お互いに助け合って、この困難を乗り切らなければなりません。


 さて、宮城県名取市で被災した18歳の沼田裕也君のことを話したいと思います。


 彼は被災直後のテレビで避難所のなかで活躍する高校生ボランティアとして取り上げられていました。そのときに彼は、「家族とはぐれているのですが、父は仕切るのが好きな人なので、どこかの避難所で被災者のために活動していると思います。自分もここで活動をして、家族を探すつもりです。」としっかりとした口調で語っていました。私はそのときの彼の表情と言葉の強さから、家族の安否確認の手がかりはあるのだと思っていたのです。しかし3月27日のwebニュースで、地震の数日後に、祖母と兄の遺体を確認した。両親の安否は不明だと報道されていたのです。彼は最初から、家族の安否確認は難しいと感じていながら、カメラの前では、父はどこかの避難所で被災者のために活動していると言っていたのかもしれません。


 webニュースでは、彼は「覚悟はしている。せめて早く見つけてあげたい。」「悲しむのはいつでもできる。今はそのときじゃない。」と気丈に言っていると書いてありました。避難所では今も進んで救援物資の運搬やごみの分別を手伝っているのです。


 彼が大学に合格したとき、母親は赤飯を炊いてくれた。父親は将来について聞いてきて話をした。家族で大学の合格を祝ってくれたのだと言います。父親には「大学でも頑張るので、体に気をつけて仕事を頑張ってください。」と手紙を書いた。しかしその手紙は、津波に流されてしまって、とうとう渡せず仕舞いだということです。


 沼田君の家族は自分以外のことを優先する家族であった。地震のとき父は自転車で近所に非難を呼びかけに行った。   


 母は向かいの家の様子を見に行った。兄は近所の人を助けに行った。自分は祖母に付き添った。そして津波が来た。


 彼は4月から大学に行く予定でした。しかしそれが無理なら仕事を探さなければならないと語っています。


 皆さんはこの沼田裕也君の話を聞いてどう思いますか。私はまず彼の精神力の強さに感服しながら、次のことを考えました。


 第一に、被災し家族の安否が確認できなくても希望を捨てていない。


 第二に、彼の家族が地域に貢献しようとする家族であったために、彼もそのように育ち、祖母と兄が死に、両親の安否が確認できない状況でも、健気に被災者ボランティアとして避難所で活動をしている。その活動をすることで折れそうな自分を支えている。


 第三に、家族が持っていた奉仕の精神が沼田君の中に見事に生きている。


 さて、飾磨工業高校は、皆さんに、次のようことを期待しています。


 自分を大切にする自尊心と将来への志を持ってほしい。


 仲間や地域の中で活動し貢献する行動力を持ってほしい。


 工業高校の生徒として日本の工業界を背負う技能と技術を身につけてほしい。


 現代の高度技術社会で活躍できる知力と知識を持ってほしい。


 そしてクラスや学校全体に、地域社会に貢献する活動を通じて自分の生き方在り方を考えてほしい。


 ようやく上向きになった日本の景気は、この大震災で足止めを喰らってしまいました。しかし私たちは前に進まなければなりません。だから、皆さんには、自分の夢を実現するための具体的な目標を立ててほしい。大きな目標につながる小さな目標をたくさん立ててほしい。それを実行に移して、一つ一つ達成していってほしい。夢は望むだけでは自分のものにはなりません。目標は、実行に移して達成しなければ目標ではないのです。それは夢のままに過ぎないのです。保護者の皆様には、お子様の目標を達成するために、本校の教育方針をご理解いただき、本校の教育活動にご協力をお願いします。


 最後になりましたが、御来賓の皆様には、御多用にも関わりませず、御臨席賜り、入学式に華を添えていただきましたことに、心よりお礼を申し上げまして、平成二三年度入学式の式辞といたします。
 平成23年 4月8日


   兵庫県立飾磨工業高等学校長


     田中 哲也

2011年2月28日月曜日

2011.2.28 平成22年度卒業式を行いました。



式 辞



 この飾磨の地に、春の気配が日ごとに感じられる今日の良き日に、御来賓の皆様と、保護者の皆様の祝福をいただき、兵庫県立飾磨工業高等学校平成22年度卒業証書授与式を挙行できますことに、心から感謝を申し上げます。


 ただいま卒業証書を授与しました全日制課程196名、多部制課程136名、合計332名の卒業生の皆さん、卒業おめでとう。そしてお子様を育て、支えてこられた保護者の皆様に、心よりお喜びを申し上げます。


 今、世の中には、家族や地域の絆の希薄化とか、若者が将来に希望を持っていないとか、閉塞感が満ちているとか、地球環境が破壊されているとか、私たちを動揺させる事柄が誇張され、私たちの、生きていこうという意思の腰を折る場面が多くあります。確かに今、私たちにとって荷の重い課題があることは事実ですが、必要以上にそれらに煽られて、あきらめたり投げやりになったりすることは大変危険だと思います。このような時には、自分たちの身近なところをしっかりと固めることが大切です。家族や近所の人のネットワークを確かなものにすること、一人一人がやれることや、やるべきことをしっかりとやりきること等、私たちのこれからの暮らしのために展望をもち、地道な行動を継続していくことが重要だと考えています。


皆さんがこれまでにやってきた地域貢献活動を考えてみましょう。ただ理由もなく幼稚園や小学校や福祉施設に行ったわけではないはずです。そこには地域の中で人と人とのネットワークを作ろうとする社会的な意志があります。多くの企業にお世話になったインターンシップにおいても、皆さんが実際の工業現場で技能や技術がどのように活用されているのかを知ることや、学習のモチベーションをあげることが重要なことはもちろんですが、技能・技術の若い継承者である皆さんを、企業と学校が連携をして、社会全体で世界的にも評価の高い日本の技術・技能を継承する若者を育てようとする強い意志が、今の日本にあるということが重要なのです。


私たちは生きる意味や目的を常に考えています。それはとても大切なことですが、一つ忘れてはならないことがあります。それは小さい子どもの快活さと無邪気さです。あの生きようとする本能ともいえる強さこそが、わたしたちにとっても重要だと思うのです。考えすぎることで、その生きようとする強さを忘れてしまうとしたら、それは不幸なことですし、間違っているといっても言い過ぎではないでしょう。


以前、全校集会で読み上げたことがある、志賀直哉の「ナイルの水の一滴」という文章をもう一度読んでみたいと思います。


「人間が出来て、何千年になるか知らないが、その間に数えきれない人間が生まれ、生き、死んでいった。私もその一人として生まれ、今生きているのだが、例えて云えば悠々流れるナイルの水の一滴のようなもので、その一滴は後にも前にもこの私だけで、何万年遡っても私はいず、何万年経っても再び生まれては来ないのだ。しかも尚その私は依然として大河の水の一滴に過ぎない。それで差し支えないのだ。」


今日はこの続編を話したいと思います。「千の風になって」という歌を日本語訳した新井満という芥川賞作家がいます。今読み上げた志賀直哉の「ナイルの水の一滴」という文章に影響を受けて、次のような文章を書きました。


「意味なく生まれてきたわけではない。無数の様々な原因と条件が寄り集まって生まれてきたのだ。つまり生まれる意味があったからこそ、あなたは生まれてきたのだ。そのことを思うと不思議な気分になる。今生きているあなたとは、奇蹟のような存在であるといっても過言ではない。実はあなたの命とは、宇宙大河の一滴のことなのだ。」


今日卒業する皆さんは、そしてここにいる私たちは、奇蹟のような存在なのです。今日卒業する皆さんの前途に困難があったとしても、私たちは奇蹟の命を持っていることを忘れないでほしいと思います。皆さんが今後体験していくことは、何一つとして、皆さんの次のステップに無駄で意味のないことはないのです。どんな辛いことでも、次のステップの礎になるということをしっかり認識して、やけを起こさず、辛抱するところは辛抱をすることが必要です。自分にとっては辛い今の体験でも、ひょっとしたら自分が予想もしていない、いい方向へと自分を導いてくれる契機になるのではないか、そう思えないのは自分が自分の考え方に拘りすぎているからではないのか、もう少し辛抱してみれば、新しい世界が広がるのではないかと考え直して、行動していくことが必要だと思います。それが自分の未来を見つめるということではないのか。体験を自分の次のステップにつなげられるかどうかは、皆さんの心構え次第だということです。


以上のことを卒業生の皆さんに伝え、卒業証書授与式の式辞とします。


私たちの身近なところを大事にして、お互いに支え合って生きていくことが大切だと思います。卒業する皆さんと、そしてご家族の皆様の御発展と御多幸を、切にお祈りいたします。



平成23年2月25日

兵庫県立飾磨工業高等学校校長  田中 哲也

2010年7月23日金曜日

H22.7.23 飾工キャリア教育プログラムの整備




飾工キャリア教育プログラムの整備




校長  田中 哲也


 昨年度アメリカの住宅バブルの崩壊によるリーマンショックに始まる世界的な不況の影響で、求人状況が悪くなり、昨年度の卒業生のご家庭は大変だったと思います。進路指導部と卒業年次団を中心に学校も奔走して、ほとんどの生徒が何とか進路を決めることができました。ところが今度はギリシャの国家財政赤字が発覚し、ユーロ圏各国がギリシャ国債を保有していることから、また世界的な不況になっている状況です。本校では、生徒の希望する進路の実現のために、短期的にも長期的にも具体的な対策を講じようと、飾工キャリア教育整備委員会を設置し、「飾工キャリア教育プログラム」を整備しようと考えています。飾磨工業高校で整備するべきキャリア教育のコンセプトのポイントを、①「自尊心・志」、②「行動力」、③「技能・技術」、④「知力・知識」、⑤「貢献」としました。これらの言葉の英語の頭文字を取って「S・E・T・I・C PLAN」(セティックプラン)としました。本年度の卒業生のために、すでに先行的に実施している年次・学科・教科・部・委員会が多くあります。具体的な対策を実行しながら整備に向けて作業を進めている状況です。ところでキャリア教育とは何でしょう。実は従来の進路指導もキャリア教育も目指すところは同じです。進路指導は生徒に将来どう生きていくべきかを考えさせながら人間形成をさせる教育活動です。そうであるのになぜ、キャリア教育を唱える必要が出てきたかというと、進路指導が卒業時の進路決定に限定され過ぎていることへの反省があることは確かですが、それよりも社会の少子高齢化、地域家庭の教育力の低下、終身雇用から流動的な雇用への変化等により、青少年の勤労観・職業観が変化してきたことが大きいのです。これらのことから今の若者は、精神的社会的に自立が遅れ、人間関係がうまく築けず、自分で意思決定ができず、自己肯定感が持てず、将来に希望が持てず、進路を選ぼうとしない傾向が目立っています。このような社会的な状況下で、家庭生活、職業生活、市民生活等における生徒自身の様々な立場や役割(これがキャリアです)を考えさせていくことが急務になってきたというわけです。飾工キャリア教育のコンセプトに戻ります。コンセプトの要素である「自尊心・志」は、人としての規範を身につけ、人間関係を大切にしながら、自分に自信をもち、自分を成長させる意志を持つことです。「行動力」は、仲間との行動、議論、交渉、調整等を通じて、困難を克服しながら共に行動し、課題を解決することです。「技能・技術」は、自分の生き方在り方を見据え、基本的な技能・技術(工業技能、部活動、計算、表現(読む、書く))を身につけることです。「知力・知識」は、一般常識、工業技術・技能の基礎知識をしっかり定着させ、論理的・戦術的に考える力を身につけることです。「貢献」は、クラス・学校全体や地域社会へ貢献する活動を通して、自分の生き方在り方を考えることです。本年度は好運にも(?)、本校のPTAが兵庫県立高等学校PTA連合会のPTCA活動支援事業の実施校になりました。1年間かけて活動をして、11月26日の三木市で行われる兵庫県大会で発表をすることになりました。活動テーマは「家庭、企業、地域、学校の連携によるキャリア教育の展開」です。これは本校にとって願ってもないテーマです。目的は、①家庭、地域、企業、関係諸機関、学校が連携したキャリア教育を展開する、②保護者が参加し、学校教育活動への理解を深め、親と子で子どもの進路を考える環境づくりを支援する、です。保護者の皆様には、学校で実施しているキャリア教育関連行事や生徒の教育活動に実際に参加していただきながら、お子様のキャリアについて学校と一緒に考えていこうというのが、本年度の飾工PTAの活動になります。保護者の方には一人でも多く、学校へ、インターンシップ先へ、生徒が地域貢献している先へと足を運んでいただきまして、私たち教職員と一緒に飾工のキャリア教育活動を展開していただきますよう、よろしくお願いします。

2010年4月9日金曜日

h22.4.8  平成22年度入学式を行いました。本年度もよろしくお願いします。

平成22年度県立飾磨工業高等学校 入学式 式辞

 この飾磨の地にも、春がやってきました。本日、御来賓の皆様と、新入生の保護者の皆様の祝福をいただき、兵庫県立飾磨工業高等学校平成22年度入学式を挙行できますことに、心から感謝申し上げます。
 ただいま入学を許可しました全日制課程200名、多部制課程195名、合計395名の新入生の皆さん、入学おめでとう。本校への入学を心から歓迎します。保護者の皆様には心よりお喜びを申し上げます。
 飾磨工業高校の今回の入学試験の志願者倍率は、全日制、多部制ともに、県下でも非常に高いものでした。その難関を突破した新入生とその保護者の皆様の、合格者発表の日に喜んでいらっしゃる姿は、私たち職員の脳裏に焼き付いています。しかしその反面、うつむいて静かに帰っていった受験生と保護者の姿を思い浮かべる時、合格を勝ち取った皆さんには、不合格になった人の分まで本校でしっかりと学んでほしいと、強く思います。
「自分探し」という言葉があります。「自分探し」という言葉は、自分の中に確かな自分が存在するという前提の上に成り立つ言葉です。「確かな自分は存在する。しかしそれは非常に見つけにくいものである。」と考えておきます。
卒業後の進路を決める時に、「自分を探し当ててからでないと就職しない。あるいは就職する自信がない。」と考えるとすると、自分の仕事を見つけるのはいつになるのでしょうか。ニートとかフリーターの増加が社会問題になっている理由の一つが「自分探し」という言葉への誤解にあると考えています。
わたしは、「自分というものは、自分が行動を起こした時に初めて、表面に現れ、私たちが認識できるものである」と考えています。逆に言えば、「行動を起こさない場合には、確かな自分を探し当てることはできない」ということになるのです。
ですから、新入生の皆さんには、飾磨工業高校の学校生活の中で、自分から行動を起こしてほしいと言いたいのです。皆さんのその行動の中にこそ、確かな自分が存在するのです。行動を起こす前に、どちらがいい選択なのだろうかと悩むのではなく、その時に一番いい選択をしておいて、自分の行動の中で、自分のその選択を自分にとって正しいものにする努力をすることで、自分探しができるのだと言いたいのです。
さて、本校は工業高校です。現在、日本もまだ不況の中にいますが、私たちの日本を元気にするには、ものづくりの現場を元気にする必要があります。工業高校である飾磨工業高校の存在意義はここにあります。日本人の長所である忍耐強さ、協調性、誠実さ、親切さ、器用さ、こだわる性癖を大事にしていくことが、日本を元気にすることになると思います。私たちは皆さんにこれらのことを学んでほしいのです。
ところで、日本には、技術力やシェアで世界最高レベルにある、小さいけれども世界一の企業がかなり多くあることを知っているでしょうか。実はそれらはほとんどが中小企業なのです。サッカーワールドカップ大会で、審判が使用する笛は日本製です。それは80年近い伝統の技の産物だと聞きます。スペースシャトルの重要な部分を溶接しているのは、東京の小さな溶接会社です。スペースシャトルの燃料タンクを軽量化したのは、福井県にある中小企業である工作機械メーカーです。世界の工作機械の3分の1は、日本製です。世界の産業用ロボットの7割が日本製です。世界の金型のシェア世界一は日本です。歯車製造で世界一の技術を誇るメーカーは日本に多くあります。その歯車の精度を測定する機器の製造で世界のシェアの3割強を占める精密機械メーカーは日本にあります。その他、精度1000分の1ミリという常識破りのネジを製造している中小企業は東大阪市にあります。レジャー用魚群探知機で世界的メーカーになった中小企業。小型ベアリングで世界的最高水準の技術を持つ中小企業等々。あげれば切りがありません。
日本のものづくりを世界一にしている要因は3つあります。第一に精度と美しさに粘り強くこだわること、第二に規律を守りチームワークよくものをつくること、第三にお客様の要求、苦情に対して親切に誠実に対応することです。日本のものづくりを担うであろう皆さんは、この3つの能力を、授業、学校行事、部活動、地域貢献活動等の、本校のあらゆる教育活動の中で学んでもらわなければなりません。
皆さんには、夢を描いてほしい。そしてその夢を実現するために、具体的な目標を立ててほしい。大きな目標は、小さな目標に分割して、実行に移して、一つ一つ実現していってほしい。未来は望むだけでは自分のものにはならない。目標は、実行に移さなければ目標ではない。夢のままに過ぎないのです。
 最後になりましたが、御来賓の皆様には、御多用にも関わりませず、御臨席賜り、入学式に華を添えていただきましたことに、心よりお礼を申し上げまして、式辞といたします。  

  平成22年4月8日   兵庫県立飾磨工業高等学校長   田中 哲也