2009年5月21日木曜日

h21.5.21 「鹿間津を通ふ雄鹿の夢~飾磨工高校長室便り~」を開設しました

「昔、印南野に住む鹿が和歌などで「夢野の鹿」と詠まれていた。その夢野で仁徳天皇が狩りをされた時、雌雄の鹿が逃げのび、二ケ所に別れて住みつき、雄鹿が住みついた所を男鹿島、雌鹿が住みついて所を妻鹿といい、海中の州を行き来したという。飾磨はこの男鹿島と妻鹿の間にあたることから「鹿間津(しかまつ)」といわれるようになった。」(「播磨鑑」より)

「鹿間津を通ふ雄鹿の夢は遙かに」
県立飾磨商業学校と県立飾磨工業高等学校の創立70周年記念誌から)


 私は、鹿間津に通う雄鹿としての夢を、このページ「鹿間津を通ふ雄鹿の夢~飾磨工高校長室便り~」で語っていきたいと思います。

 飾磨工業高等学校長として着任しました、田中と申します。
 私は、1年3ヶ月前まで、平成18年4月1日から平成19年12月31日までの間、飾磨工高全日制の教頭をしていました。
 その後の1年3ヶ月は、平成21年1月から3月末日まで龍野北高等学校の教頭として、新しい学校の最終的な開校準備を、平成20年度は、県立龍野実業高等学校長として、県立龍野北高等学校に統合する仕事と、たつの市龍野町北龍野の龍野実業高校旧校舎を閉舎する仕事をやりました。
 実は、平成15年度に多部制の設置の年度に、3部の教諭としても仕事をしていました。
 このように多部制、全日制ともに勤務の経験のある私が、また御縁があって飾磨工業高等学校で仕事をさせていただくことになりました。
 微力ながら精一杯務めますので、何とぞよろしくお願いします。(2009.5.21)

 写真は、本校正門入った所にある昭和60年設置の同窓会モニュメント「雄飛」です。