式 辞
この飾磨の地に、春の気配が日ごとに感じられる今日の良き日に、御来賓の皆様と、保護者の皆様の祝福をいただき、兵庫県立飾磨工業高等学校平成22年度卒業証書授与式を挙行できますことに、心から感謝を申し上げます。
ただいま卒業証書を授与しました全日制課程196名、多部制課程136名、合計332名の卒業生の皆さん、卒業おめでとう。そしてお子様を育て、支えてこられた保護者の皆様に、心よりお喜びを申し上げます。
今、世の中には、家族や地域の絆の希薄化とか、若者が将来に希望を持っていないとか、閉塞感が満ちているとか、地球環境が破壊されているとか、私たちを動揺させる事柄が誇張され、私たちの、生きていこうという意思の腰を折る場面が多くあります。確かに今、私たちにとって荷の重い課題があることは事実ですが、必要以上にそれらに煽られて、あきらめたり投げやりになったりすることは大変危険だと思います。このような時には、自分たちの身近なところをしっかりと固めることが大切です。家族や近所の人のネットワークを確かなものにすること、一人一人がやれることや、やるべきことをしっかりとやりきること等、私たちのこれからの暮らしのために展望をもち、地道な行動を継続していくことが重要だと考えています。
皆さんがこれまでにやってきた地域貢献活動を考えてみましょう。ただ理由もなく幼稚園や小学校や福祉施設に行ったわけではないはずです。そこには地域の中で人と人とのネットワークを作ろうとする社会的な意志があります。多くの企業にお世話になったインターンシップにおいても、皆さんが実際の工業現場で技能や技術がどのように活用されているのかを知ることや、学習のモチベーションをあげることが重要なことはもちろんですが、技能・技術の若い継承者である皆さんを、企業と学校が連携をして、社会全体で世界的にも評価の高い日本の技術・技能を継承する若者を育てようとする強い意志が、今の日本にあるということが重要なのです。
私たちは生きる意味や目的を常に考えています。それはとても大切なことですが、一つ忘れてはならないことがあります。それは小さい子どもの快活さと無邪気さです。あの生きようとする本能ともいえる強さこそが、わたしたちにとっても重要だと思うのです。考えすぎることで、その生きようとする強さを忘れてしまうとしたら、それは不幸なことですし、間違っているといっても言い過ぎではないでしょう。
以前、全校集会で読み上げたことがある、志賀直哉の「ナイルの水の一滴」という文章をもう一度読んでみたいと思います。
「人間が出来て、何千年になるか知らないが、その間に数えきれない人間が生まれ、生き、死んでいった。私もその一人として生まれ、今生きているのだが、例えて云えば悠々流れるナイルの水の一滴のようなもので、その一滴は後にも前にもこの私だけで、何万年遡っても私はいず、何万年経っても再び生まれては来ないのだ。しかも尚その私は依然として大河の水の一滴に過ぎない。それで差し支えないのだ。」
今日はこの続編を話したいと思います。「千の風になって」という歌を日本語訳した新井満という芥川賞作家がいます。今読み上げた志賀直哉の「ナイルの水の一滴」という文章に影響を受けて、次のような文章を書きました。
「意味なく生まれてきたわけではない。無数の様々な原因と条件が寄り集まって生まれてきたのだ。つまり生まれる意味があったからこそ、あなたは生まれてきたのだ。そのことを思うと不思議な気分になる。今生きているあなたとは、奇蹟のような存在であるといっても過言ではない。実はあなたの命とは、宇宙大河の一滴のことなのだ。」
今日卒業する皆さんは、そしてここにいる私たちは、奇蹟のような存在なのです。今日卒業する皆さんの前途に困難があったとしても、私たちは奇蹟の命を持っていることを忘れないでほしいと思います。皆さんが今後体験していくことは、何一つとして、皆さんの次のステップに無駄で意味のないことはないのです。どんな辛いことでも、次のステップの礎になるということをしっかり認識して、やけを起こさず、辛抱するところは辛抱をすることが必要です。自分にとっては辛い今の体験でも、ひょっとしたら自分が予想もしていない、いい方向へと自分を導いてくれる契機になるのではないか、そう思えないのは自分が自分の考え方に拘りすぎているからではないのか、もう少し辛抱してみれば、新しい世界が広がるのではないかと考え直して、行動していくことが必要だと思います。それが自分の未来を見つめるということではないのか。体験を自分の次のステップにつなげられるかどうかは、皆さんの心構え次第だということです。
以上のことを卒業生の皆さんに伝え、卒業証書授与式の式辞とします。
私たちの身近なところを大事にして、お互いに支え合って生きていくことが大切だと思います。卒業する皆さんと、そしてご家族の皆様の御発展と御多幸を、切にお祈りいたします。
平成23年2月25日
兵庫県立飾磨工業高等学校校長 田中 哲也